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高杉城跡
概要
高杉城跡は、南西側から北東方向に延びてきた低丘陵尾根の先端域に位置しています。その場所は周囲の水田地帯との比高差約5mで、370m×250mの長方形状の平坦な低台地地形となっており、丘陵上は広く畑地となってます。
また、丘陵の北東方向全面には南東から北西に馬洗川が流れ、この馬洗川に向かって丘陵の東側では美波羅川(みはらがわ)および岩倉川が、西側では芋面川(いもづらかわ)が南側から注ぎ込んでいます。そのため、丘陵の周辺には三次盆地で最も広い沖積低平地が形成せれており、現在は肥沃な水田地帯となっています。
現状では知波夜比古神社境内を中心とする一辺約80m×60mの区域を掘りと土塁で「コ」字状に囲んだ方形状の館跡が良好な状態で存在しています。館跡の南辺側は遺存する土塁上面からの落差約3.5mの切岸状の急斜面となっており、館跡としての威容を窺わせる部分です。知波夜比古神社の参道は、この傾斜面を削り込んで南側から上る石段を設けて造られています。
高杉城は『陰徳太平記』等に天文22(1553)年と記載される江田合戦で江田氏の支城であった本城も毛利氏の攻撃で落城をしますが、その時には三重の空堀で守られていたといいます。
基本情報
名称:高杉城跡
よみがな:たかすぎじょうあと
指定:県指定
種別:史跡
所在地:三次市高杉町
指定年月日:昭和59年11月19日
関連情報
広島県の文化財 - 高杉城跡<外部リンク>