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下本谷遺跡(三次郡衙跡)
下本谷遺跡(三次郡衙跡)
奈良時代から平安時代にかけての古代三次郡(現在の三次市のほぼ西半分)の郡役所跡です。
東西約53m、南北113mにわたって柵を巡らし柵内の中央部に郡司が政務を執る「庁屋(ちょうや)」や生活の場である「向屋(むかいや)」の建物があったほか、柵の内外から多数の倉庫群も発見されました。
文字を書いていたことを示す硯(円面硯〔えんめんけん〕)や当時の貴重品である緑釉陶器(りょくゆうとうき)などが出土しています。
郡衙とは
古代の地方制度は7世紀中頃から国・郡・里(郷)の行政単位に整備され、郡制は大宝1(701)年に制定された大宝律令では国の下の行政単位として定められ、郡ごとに大領以下の郡司が任命されました。
備後国には14郡65郷が置かれ、三次地方には三次・三谿両郡があり、郡司にはその土地の豪族が任命され徴税などの実際的な事務に当たっていました。
郡衙はその役所で行政事務を行う庁院、役人の住居である厨家、農民から納められた税(租・庸・調)などを納める倉庫などからなっています。
基本情報
名称:下本谷遺跡(三次郡衙跡)
よみがな:しもほんだにいせき(みよしぐんがあと)
指定:県指定
種別:史跡
所在地:三次市西酒屋町
指定年月日:昭和56(1981)年11月6日
関連情報
広島県の文化財 - 下本谷遺跡(三次郡衙跡)<外部リンク>
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