平成31年4月26日(金曜日)に、湯本豪一記念日本妖怪博物館(三次もののけミュージアム)が開館しました。
この博物館は、日本初の「妖怪博物館」で、三次市が舞台となった《稲生物怪録(いのうもののけろく)》と、約5,000点の「湯本豪一コレクション」の中から厳選した資料を展示しています。
また、開館以来多くの入館をいただき、5月23日(木曜日)には、入館者34,400(みよし)人を達成しました。
昔から、人々は、心の不安や闇に感じる気配、自然に対する畏怖から、それらを名づけたり、形を与えたり、信仰するなどして妖怪を生み出してきました。いつの時代にも、妖怪は人の心を映すものとして人々の心や生活の中に生きてきたと言えるでしょう。
妖怪は今でも、小説やアニメ、ゲーム等の題材として絶えず使われています。特に、海外で評価の高い日本のサブカルチャーの中心的な存在となっています。今も昔も人々の心を映しつづけてきた妖怪は、人間の創造力の可能性を示すうってつけのアイテムと言えるでしょう。「湯本コレクション」の中にも、妖怪から刺激を受けた葛飾北斎や歌川国芳など名だたる芸術家の作と伝えられる資料やゆかりの品があります。
博物館では、これらの貴重な資料を展示・活用し、子ども達の豊かな創造力を育む場にしたいと考えています。また、学校や企業、地域の方々とも連携して、妖怪を通じた芸術・文化活動をサポートし、「まちづくり」の一翼を担っていきます。
《稲生物怪録》は、江戸時代後期に実在した広島藩士の稲生武太夫(1734~1803)が、三次で平太郎と名乗っていた少年時代に体験したとされる物語で、30日間にわたり出現する様々な妖怪や怪異に耐え抜いたとされています。
江戸時代を代表する国学者平田篤胤(あつたね)から高い評価を受け、全国に伝えられました。
江戸時代のみならず明治以降においても、講談や小説、戯曲といった様々な分野に生かされ、最近では、漫画やオペラなどにも取り上げられています。今日まで延々と伝承され、いまなお成長し続けている物語で、ある意味、隠れた大ベストセラーと言えるでしょう。
博物館では、三次市内に残る絵巻や湯本コレクションに含まれる資料を展示するとともに、オリジナリティあふれるそのストーリーや物語の変化などを紹介します。
「稲生物怪録絵巻(堀田家本)」より |
![]() 1日目 髭手の大男が現われ、平太郎をわしづかみにします。 |
![]() 26日目 女の首が平太郎をなでて脅かします。 |
湯本豪一(ゆもとこういち)コレクションは、妖怪コレクターで民俗学者である湯本豪一さんが、長い年月と私財を投じて収集したものです。約5,000点からなり、日本最大の妖怪コレクションと言われ、各分野から高い評価を受けています。
三次市は、貴重なコレクションの寄贈を受け、日本のユニークな妖怪文化を多くの方にご紹介します。
![]() 百鬼夜行絵巻(ひゃっきやぎょうえまき) 江戸時代 1巻 百鬼夜行絵巻とは、様々な妖怪たちが闇の中を列をなしてどこかへ向かう様が生き生きとした姿で描かれた、妖怪主役の絵巻です。 湯本コレクションの中には、絵巻、掛軸、焼物、着物など百鬼夜行図に関連したものが多く含まれており、昔から人気が高い題材であったことがうかがえます。 |
![]() 源頼光公館土蜘作妖怪図 (みなもとのよりみつこうやかたつちぐもようかいをなすのず) 江戸時代(天保14年)大判錦絵3枚続 歌川国芳 土蜘蛛に悩まされている源頼光と碁を打ちながら寝ずの番をする四天王が描かれた錦絵です。 一説には、この絵は幕府の政策を風刺した内容であると言われ、庶民の喝采を呼んだとされています。 |
三次市は、湯本豪一記念 日本妖怪博物館(三次もののけミュージアム)について、広く知っていただくためもののけだよりを発行しています。
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